ごあいさつ

安田 聡教授
 東北大学循環器内科学分野/循環器内科は、大正2(1913)年に設立された旧第一内科を母体とし、世紀を超える循環器病学の歴史と伝統を有する臨床医学教室です。初代の熊谷岱蔵(たいぞう)先生(1913-1942)、大里俊吾先生(1944-1950)、中村隆先生(1951-1972)、瀧島任先生(1972-1992)、白土邦男先生(1992-2005)、そして下川宏明先生(2005-2020)に次ぐ第7代教授として、2020年8月1日より着任いたしました。

 「研究第一」「門戸開放」「実学尊重」の学風をもつ東北大学において、当教室は、研究:循環器疾患の病態解明と最先端医療を開発、教育:明日の日本の循環器医療・循環器病学を担う人材を育成、臨床:重症循環器疾患の「最後の砦」としての高度で最善の医療を提供 することを三位一体で進めてまいります。

救命に直結する循環器病学;心臓を救うことは命を救うこと

 私は1987年に東北大学医学部を卒業後、仙台市立病院で初期研修を行いました。救急が活発な病院で、救命に直結する循環器学を究めたいと決意しました。1989年国立循環器病センター(国循)心臓血管内科レジデントとして大阪の地で研鑽を積むこととなりましたがこれが人生の最初の転機となりました。国循は症例の宝庫であり、当時いち早く冠動脈インターベンション(PCI)や僧帽弁交連裂開術(PTMC)などの低侵襲性医療が導入されていました。何より臨床研究や併設されている研究所との共同研究が活発で、フィジシャンサイエンティストというもう一つの目標を持つようになりました。

世界と研究の厳しさを知った海外留学

 東北大学第一内科から1994年米国カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD) に留学しCaハンドリングに関する基礎研究に従事しました。世界の研究レベル、研究を進めるダイナミズムを肌で感じる一方で、グラント確保など競争の中で研究を行っていく厳しさを知りました。仮説を設定しデータを収集、客観的な視点から分析する基礎研究でのプロセスは、臨床に通じる貴重な経験となりました。

東日本大震災を経験

 1997年に帰国し国循の心臓血管内科医員としてCCU集中治療室で研鑽を積みました。カテーテル治療の技術とともに集中治療・全身管理という内科医としての素養を改めて深める得難い機会となりました。2006年より母校・東北大学に戻りましたが、2011年3月11日 東日本大震災を経験しました。当たり前の日常が瞬時に姿を変え死すら覚悟する 忘れられません。当時の大学病院は里見病院長のもと一体となって被災地支援に取り組み 組織の力を実感しました。

N Engl J Med への道

 2011年9月 国循の心臓血管内科部門長として異動、大きなチャレンジとなりました。低侵襲医療(患者さんにやさしい医療)、先制医療(発症重症化を未然に防ぐ医療)を目指した臨床・研究に取り組みました。2019年9月2日にはThe New England Journal of Medicine(NEJM)誌に大規模臨床試験『AFIRE試験』を発表しました。これまでの臨床試験は、標準治療に被験薬を加えること、つまり治療強化による利益を検討するデザインが一般的でしたが、AFIRE試験は抗血栓薬を減らすことによる利益を検討するという新しいコンセプト(”Less is More”)の試験となりました。NEJM誌とのreview過程は、「科学的な方法・探求」という基本に立ち返る得難い機会 となりました。

東北大学循環器内科で大切にしていきたいこと

 2020年8月より母校・東北大学循環器内科教授として着任しました。
 東北大学では、虚血性心臓病・心不全・不整脈・肺高血圧症・心筋症など、幅広い循環器疾患に対して補助人工心臓、心臓移植を含む高度医療を実践するエキスパートが揃っており、臨床ならびに基礎研究を行う環境も整っています。また、産学連携やトランスレーションの実績も多数あります。
 臨床教室として大切にしていきたいことがあります。
 一つめは、東北大学という日本を代表する施設で仕事をしている意義・自覚を持って診療・研究・教育 に前向きな視点で取り組んでいきたいと思います。
 二つめは「情と理のバランス」「臨床家と研究者としてのバランス」「社会人と医師としてバランス」バランスを大事にしていきたいと思います。
 三つめは公的な気持ち=研究の公正性、仕事の誠実さ、仲間を思う気持ちを育んでいきたいと思います。
 教室の力はヒトの力、教室員の皆と、教室のさらなる発展、人材の育成、地域医療への貢献に努めて行きたいと考えております。